
四国は鳴門・土佐泊港の小高い丘の上に弘化三年(1846年)に建立された小宰相局の墓
がひっそりと今も残っている。
小宰相局が、湊川下流域で源氏軍の武者七騎に取り囲まれ、奮戦するも討ち死にを遂げた
良人の平通盛の後を追って懐妊の身ながら入水自殺したのが、寿永3(1184)年2月14日と
伝えられているので、死後662年後の建立である。
その間幾度も権力が変わり戦国の世を通っても尚、二人の悲恋は『平家物語』や『源平盛衰記』
又能楽の『通盛』等を通じて伝えられて来た。
これはもののあわれを偲ぶ国民性も有るが、権力の交代が有っても新たな権力者が
前権力者の残した有形無形の遺産を廃棄する事無く、大切に受け継いできた所以でもあろう。
翻ってお隣の中国や韓国を見たとき、権力の交代が有る度、前権力者の文化・文明を
すべて燃やし尽くして来たという。
我が国では昨年の7月に政権交代が行われ、自民党政権時代の全ての政策は良いも悪いも
全て破棄され、幹事長にいたって御皇室を軽んじる発言を随所で行っていると聞く。
その一方で災害等の為に蓄えて来た国富を選挙対策の為に国民にばら撒くという
暴挙を行おうとしている。
国民に明日の事を考えず、今の享楽に生きよとでもいうのか。
その結果、日米同盟は戦後最悪の状態に陥り、経済は上昇する兆しが全く見えず、
国民生活は悪くなる一方で、他国からの信用もがた落ちである。
民主党の現執行部は日本人の民族性よりも、寧ろ中国人や韓国人の民族性に近いと言えるだろう。
喜んでいるのは中国と金正日だけである。
【道標】

【階段は割りと急勾配】

【墓碑の正面には、「小宰相局 寿永三年甲辰二月十四日寂」とある。】

【墓碑右側面「形部卿範賢女 越前三位通盛卿北方」】

【墓碑左側面上部「衣かけし 人は一代 松千とせ」】

【墓碑左側面下部「世話人 仙次郎 おわさ おしの おきよ おかめ お長 おまき」
おそらく建立者だろう。地元の漁師か。】

【花や飲料がそっと供えてある。
これが日本人である。】

【弘化三年十二月(1846年)建立。今から164年前。】

【鳴門市による碑】

碑文:
寿永3年(1148年)平家の大将平通盛の恋女房小宰相局は一族と共に摂津の一の谷から
讃岐の屋島へ落ち行く道すがら、愛する夫が源氏のため一の谷において討ち死にしたと聞き、
なき夫への思慕のあまり小鳴門の海に身を投じて十九の花を散らした、
付近の人々はこの薄命にそぞろ哀れを感じあつく霊をとむらった。
ここに小宰相局の晴衣をかけたと伝えられる衣懸(きぬがかり)の松があった。
小宰相局は懐妊の身であったので、子のない婦人がこの墓に祈れば効験があるとつたえられている。
鳴門市
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