西村真悟 論文紹介②
掲載雑誌:月刊日本 1月号 p.124~127
発行所:株式会社K&Kプレス
コラム名:歴史に学ぶ(三十)
ルーズベルトとチャーチルによる「戦争謀議」
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【論文より抜粋】
さて、12月の我が国の「戦争特集」は、無謀な戦争に突入したという前提で組み立てられる。
無謀な戦争とは勝つ見込みのない戦争ということであろう。
果たしてそうか。
昭和16年10月16日のぎりぎりになって成立した東条内閣が11月15日の大本営政府連絡会議
において決定した「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を点検したい。
この基本方針は、
「速やかに極東における米英蘭の根拠を覆して自存自衛を確立するとともに、さらに
積極措置により蒋政権の屈服を促進し独伊と提携して先ず英の屈服を図り、
米の継戦意思を喪失せしめるに務む」ということである。
この方針の元に、
アジアにおける英米蘭蒋拠点を制圧する第一段の「南方作戦」と
第二段の蒋介石屈服を目指す「対支大作戦」、
インド洋を制圧し独伊と提携して英国の屈服を図る「西亜作戦」が立案され、
対米作戦は近海迎撃戦法が採用されていた。
なお、11月15日の「腹案」成立の時点では、東条内閣は連合艦隊の真珠湾奇襲作戦を
知らされておらず、当然腹案にその作戦はない。
そこで腹案の点検であるが、第一段の「南方作戦」は、初戦で一挙に達成されている。
ニューファンドランド沖で米英首脳の「戦争の謀議」の舞台になった英国の最新鋭で最強の
戦艦プリンス・オブ・ウエールズは、開戦2日後の12月10日には、マレー沖で帝国海軍機が撃沈した。そして帝国陸軍は、マレー半島を一挙に南下して制圧し、翌17年2月にはアジアに置け得る
欧米列強の力の象徴であるシンガポールを陥落せしめた。
第二段であるが、西亜作戦で我が国がインド洋を制圧すれば、インドはイギリス植民地の
くびきから解放され独立する。
そうすればインド洋からインド亜大陸経由で重慶の蒋介石に物資を流していた
蒋介石支援ルートは断絶し、蒋介石軍は戦争継続能力を失うことが確実となる。
そして、我が国はシナ大陸の百万の部隊を大陸から外に出して展開させることができる。
我が国のインド洋制圧とインドの独立は、同様にインド洋経由でイギリス軍にもたらされる
物資の流れを切断してイギリスの屈服をもたらす。
以上のように変化したアジアの情勢を背景にして我が国が対米戦争方針として
近海迎撃戦法をとった場合、アメリカは「継戦意思」を維持して日本近海まで来るであろうか。
戦力は、根拠地からの距離の二乗に反比例する。
アメリカが日本の10倍の戦力を持っていても、日本軍の根拠地からの距離の5倍を
移動しなければならないとするならば、アメリカ軍は、10÷(5×5)=0.4で、日本軍の
半分以下の戦力に落ちている。
必ず、我が陸海軍はアメリカに勝ったであろう。
東条内閣の「腹案」は極めて合理的である。
(中略)
昭和20年2月23日、確かに硫黄島の擂鉢山頂に星条旗が翻った。
しかし、翌24日の朝、擂鉢山山頂には日章旗が翻っていた。
昼、日章旗は降ろされ星条旗に替わった。
しかし、次の25日の朝、またも擂鉢山の上には日章旗が翻っていたのだ。
その日の丸は輪郭がにじんでいた。 それは日本軍の兵士の血で染められていたからだ。
26日の朝、遂に日章旗は翻らなかった。
アメリカ人は擂鉢山に掲げられた星条旗を讃える。
日本人は擂鉢山に掲げられた血で染めた日章旗と掲げた無名の兵士を讃えよう。
近い将来、国軍が創設されたら、新兵の入隊式は擂鉢山で行おう。
日章旗を掲げ、硫黄島は二度と陥ちないと近い唱和しよう。
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